総合的な学習の時間のねらい

これからの社会を担う子ども

「教わる」から「学ぶ」へ

「総合的な学習の時間」のねらい


これからの社会を担う子ども
私たちの将来にも関係するんです。真剣に考えなければ。

◆10年後の社会が見えますか?◆

 私たちの目の前にいる子どもたちが活躍するのは、10年、20年先の社会です。私はそのときには、そろそろ老後のことも考えなくてはなりません。情報化がもっと進み、国境のないネットワーク社会が発展しているかもしれません。そこでは、今以上にグローバルなものの見方や考え方も必要かもしれません。周りの国のことを考えて判断し行動できるような国民である必要があるかもしれません。一気にそのような子どもに育てるのは大変かもしれませんが、10年、20年先に子どもたちが生活し、活躍できるような力を育成することが必要であることは共通理解できることだと思います。

◆変化する社会、例えばインターネットの普及◆

 日本のインターネットの学校への普及率というのは、すごいスピードですね。職員室に1台だけ入っているという場合も含めての話を含めると、もうそろそろ90パーセント位に達しているかもしれません。

 ところが,学校の先生方にインターネットの話をすると、
  「インターネットで何ができるんですか」
  「子どもに使わせても大丈夫なんですか」
  「別に使わなくても授業はできます」
 などの声を聞くことがあります。確かに言われることは正しいのですが、今の子ども達が巣立っていく10年後のことも考えて教育を進める責任が私たちにはあります。ここで言う「私たち」とは、教員だけではありません。大人もみんなその責任を担っています。

 日本の平成12年度のインターネット人口は約3400万人と言われています。Web上の情報量の変化も1年間で数倍になったそうです。一方,世界のインターネット人口は1億6,000万人です。この内アメリカの人口が9,600万人位ですから,日本は,まだ5分の1位ですね。さらに、世界のインターネットホストの台数は、今のところ4,300万台と言われています。これらは平成11年度に発表された通信白書に書かれています。これだけ日本でもインターネットは普及してきていますが、アメリカに比べるとまだまだなのです。
 次に、わが国における,メディアの世帯普及率が10パーセントに達するまでの所要年数を見てみると,電話が76年かかっています。ところがインターネットはたった5年です。それだけすごいスピードでインターネットというのは家庭にも普及してきています。このままのスピードでいくと、今後数年で家庭では80パーセントを超えるだろうと言われています。では,数年経った時に学校はどうかというと、学校にも教室までインターネットの線がやってくることになりました。
 でも、子どもたちが自由に使えるかというと疑問が残ります。それは、安心して利用できる環境やルール、モラルが確立していないからです。

◆教師自身も積極的に◆
 このように変化の激しい社会にあって、将来を担う子どもたちにどのような力が必要なのかということを考えて教育を進める必要があることは、教員である私たちに課せられた課題であることは確かです。そのためには、私たち自身が、これまで以上にさまざまなことに関心を持ち、自ら考え行動することも必要かもしれません。そうすることで、子どもたちにもそのような力を育成することが可能になるのではないかと考えます。

「教わる」から「学ぶ」へ

よく言われていることなんだけれど、どうすればいいのか分からない。

◆「生きる力」って何?◆
 「総合的な学習の時間」のことを考える前に理解しておかなければならないのが、「生きる力」です。「生きる力」とは、どのような力でしょうか。基本的には、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力のこと」を言います。  しかしそれだけでは不十分で、自分自身に関することとして「自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性」も必要になってきます。さらに、もっと基本的な資産ともいえる「たくましく生きるための健康や体力」がなければなりません。これらがバランスよく身に付いてはじめて、「生きる力」となり得るのだと言われています。そして、これらが身に付いた「めざす子ども像」としては、次の4項目があげられています。

たくましくしなやかな心身と豊かな感性を持つ子ども
確かな学力を身に付け、人権感覚・人権思想を持つ子ども
論理的思考力とねばり強い行動力を持つ子ども
集団の中で、仲間とともに生きていく子ども

 言いかえると、今までの学校が「先生からの一方的な押し付け」の教育を行い、知識や理解、技能を「教える」ことに傾注してきたことの反省にたち、これからは「自ら考え問題を解決し、たくましく生きていく」ための教育を行おうということになったのです。もちろん、これまでもそのような教育を行ってこなかったわけではありません。
 そして、この「生きる力」の中に出てくる「問題解決の力」を付けることをひとつのねらいとして登場したのが、「総合的な学習の時間」です。もちろん「問題解決の力」だけを育成する時間ではありません。

◆教える「教科」ではない◆
 解説書や学習指導要領を読んでもすっきりと理解できないのが、この「総合的な学習の時間」のねらいです。これまでの教科との大きな違いは、何を教えるのかが具体的に整理して記述されていないということです。と言うことは、「教える」教科ではないと言うことなのかもしれません。すっきりと理解できない理由がこの辺にあるのかもしれません。「教える」ことを中心に学習を組み立てるのではなさそうです。そこで、まずは2002年度から施行される学習指導要領に記述されている内容を検証してみることにしましょう。

◆学習指導要領には◆
 小学校では、まず「自ら学び、自ら考える力を育成すること」が中心のねらいとなっています。そのねらいを達成するために、各教科及び「総合的な学習の時間」で体験的な学習や問題解決的な学習を充実することが必要である、となっています。各教科等で知的好奇心や探究心、論理的な思考力や表現力の育成を重視しながら、コンピュータ等の情報手段の活用を一層推進するようにと書かれています。それと同時に、「ゆとりのある教育活動を展開する中で、基礎・基本の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実すること」という従前の教育の継承もうたわれています。

◆先生主導型の授業から子ども主体の学習活動へ◆
 これまで述べてきたように、「総合的な学習の時間」とは「生きる力」のひとつとして必要な「問題解決の力」をはじめ、生きていくための総合的な力をつけることをねらいとして登場した新しい時間であり、「総合的な学習」という教科ではありません。また、「総合」とは、これまでの国語や算数、理科、社会といった教科の内容を寄せ集めて、総合的に学習しようという意味でもありません。
 極端な書き方をすれば、先生主導型の授業から子ども主体の学習活動が行われる時間に変化したのだと考えると理解しやすいかもしれません。もちろん、先生が登場しないのではなく、先生は授業のデザイナーとして子どもたちの学習活動を支援したりコントロールする役目に回るのだと考えてください。何もしなくていいのではなく、これまで以上に一人ひとりの学習内容が見えていなければ個々の学習を支援したり、全体の流れをコントロールしたりすることができなくなるという大変な役目になります。そして、子どもたちの学習活動をうまく進めるためには、カリキュラムを先生自らが作り出せる力も必要になってきます。
う〜む、文部省みたいな内容だったな。でも、まぁ、そういうことなのです。

「はじめよう、総合的な学習」原、田頭、林共著(高綾社書店)より引用

教材3 「総合的な学習の時間」のねらい

簡単にまとめると、次のようになります。

◆「総合的な学習の時間」のねらい◆
 「総合的な学習の時間」のねらいのひとつは、「問題解決の力」をつけることであることは理解できたでしょうか。しかし、「総合的な学習の時間」を展開する場合に、どのような題材を用意すればよいのでしょう。「環境」「福祉・健康」「地域理解」「国際理解」「情報」などの題材があげられていますが、「総合的な学習の時間」の題材はこれが全てというわけではありません。しかし、これらの内容を取り扱った場合に、それぞれの持っている課題に迫ることも必要です。例えば、「環境」に関する内容を取り上げて学習を展開した場合には、「環境」について調べ、考え、まとめる活動を通して、問題解決の力をつけると同時に、「環境」に関心を持ち、関わっていこうとする態度なども育成されるべきです。このように、素材として取り扱った課題を解決し、その題材の持っているねらいに迫ることも必要です。
 このように、「総合的な学習の時間」では、取り上げた題材の中に潜んでいる問題を見つけ、それを解決していく過程でさまざまな経験や活動を行い、題材について深く理解したり関わろうとする態度などを身に付けると同時に、問題を解決する手順や方法などを実践的に身に付けることになります。
でも、このような時間を展開するには、綿密な計画と大変な準備が必要なのです。
それが、カリキュラム開発なのです。一端はじめると、おもしろくて次々と試したくなるのです。


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