問題解決の問題って何だろう
「問題」が問題 |
これまで、学校での問題解決学習の多くは、前もって先生がある程度調べ、ほとんど解答が見えている課題を与え、その解答に向かって調べていくというタイプがほとんどでした。中には問題の解き方が決まっているような場合や、一定の手順で学習を進めるとその先には必ず到達する答えが準備されているものなどもありました。もちろん、問題解決の力を付ける上では、このような手順に沿った訓練も必要ですが、それだけで終わっていたのでは、日常生活や社会に出てから直面する多様な問題を解決できる力はつかないのかもしれません。 また、子どもたちだけで解決できないような場合や、授業中に解決できなかった場合などには、先生自らが答えを言いながら板書してまとめるというような場面も見られました。私も、小学校で教師をしていたときに、そのような経験を数え切れないほどしてきました。そして、そのようなことを繰り返す内に、子どもたちは、答えは先生が教えてくれるものだという学習をしてしまい、自ら積極的に問題に取り組むことをしなくなる可能性すらあります。 これでは、問題解決にはなりません。会社などでも、社員がいくらいい考えや解決法を提案したところで、最終的に権限を持っている人の考えで進められるようなところでは、問題解決の志気はしだいに衰え、会社そのものが活気をなくしてきます。学校運営も同じことが言えるかもしれません。 |
それでは、本来の問題解決とはどのような手順でしょう。私たちが生活している社会には、様々な問題が潜んでいます。「生活をもっと充実したものにしよう」「会社の利益をもっと伸ばすようにするにはどうしたらいいか」「破壊された環境を元に戻すには」など日々直面している問題があるはずです。 それらの問題は誰かが教えてくれるのではなく、自分で気づきまたは発見し、自身で解決していかなければなりません。ときには、起こってしまった問題に対して、グループなどを構成してその問題に対して取り組んでいくような場合もあるかもしれません。これらの問題には、必ずしも一つの解決があるのではなく、いくつもの解決策を考え、その中から最適なものを選択するというような場合もあります。 さらに、答えが見つからない場合や、解決に至るまでの手順が多岐にわたるような問題もあるかもしれません。このように、本来「問題」と言われているものは、自分や仲間と発見し、それに対してさまざまなアプローチで解決策を考えていくようなものを指します。 |
このように考えると、「問題とは、願いや期待と現状の間にある」と言えそうです。子どもたちの生活の中で、「本当はこうあって欲しい」「でも現状はこうだから」というような内容を見いだし、そこに潜んでいるさまざまな問題を発見し、それに対して取り組むことができるようになれば、問題解決的な学習が展開できるようになるはずです。 |
ところが、現状では、問題は先生が出題したり提案し、教科書や問題集に載っている内容に終始したりしていることが多いのが事実です。「総合的な学習の時間」に教科書や手引き書(出るかもしれない)がないのは、これまでのような学校型の問題ではなく、社会型の問題を取り扱おうとしているからです。このことを十分に理解した上で、問題解決的な学習に向けたカリキュラム作成が必要です。 |
そこで、・・・・
この続きは、またの機会に。